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今は閉館してしまった日間賀島資料館に何があったか

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日間賀島には昔、資料館がありましたが、建物の老朽化により、何年か前に閉館となってしまいました。そこに、何があったかお教えします。

タコ壺や釣り針、網などが置いてあったり、昔の漁法などの説明がありました。

また古墳跡で取れた、土器などもあり、長い長い日間賀島の歴史を感じたりしました。

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資料館内

資料館内はこういう感じでした。

真ん中には、日間賀島の地図模型がありました。

タコ漁の説明

釣りとタコ壺と銛による方法があります。今はタコ壺による方法が多いが、以前はたくさんタコがいたので、釣りが主流を占めていたそうです。

タコ壺は改善を重ね、今では、エサガメと呼ばれるものが多く、餌にはカニを使います。

家のお爺さんも、タコ漁をする漁師だったので、今でも、タコ壺があり、今では、オブジェとして飾ってあります。

タコ祭り説明

干ダコを使う正月の祭事。秋のタコ釣の神事。元旦の安楽寺のタコ祭り。二月の船乗初め。三月の御殿祭。いずれも干ダコが供えられます。

干ダコとは、タコの干したもので、日間賀島を歩くと、時々、タコが洗濯物のように、ぶらぶらと干してあるのを目にすると思います。

干ダコは、正月になると、蒸し缶で蒸して、包丁で、薄くそぎ切りし、酒・みりんをふります。それを、神様にお供えします。

噛めば噛むほど味が出て、酒のつまみとしても、おいしいです。

網漁業説明

漁業で使う網は、すくい網、かぶせ網、ひき網、まき網、さし網、たて網等に分類することができます。

かつては、小女子やボラやセイゴを、投網でとったり、角建網を張ったりしていたそうですが、今ではこれらの漁法を島で見ることはできません。

現在の主流は刺し網です。少し大型になると、底曳網があり、さらに大型な網になると2艘の船で巻き込むおき網があります。

底曳網漁業説明

水底に接着させて使用する、引寄網または引廻網で行う漁業。一袋のひき網を使い、船を進行移動させて、底棲性の魚介を獲ります。

シャコ・エビ・カレイ・タイ・アカガイ・トリガイなど

パッチ網漁業説明

漁場に着いたら袋網の浮標を投入。2隻の船で網を八の字の方向に引いていきます。(その状態が、下着のパッチのようなので、パッチ網とか)

ひき網時間は1時間。後引き寄せ、運搬船に漁獲物を水揚げします。カタクチイワシ・イカナゴなど

一本釣り説明

船上で竿釣はしない漁法。糸を直接手にし、その感触にたよる手釣。手釣にも2通りあって、船のいかりをおろして釣をするふかし船と、いかりをおろさないで、潮の流れにのりながらする流し釣り

カワハギやタコ釣のように、餌の近くにひっかけ用の針をつけるのもある。エサ餌(まき餌)を使って、漁を寄せて釣ることも多く、エサ餌には、エビが多く使われる。

サメ漁説明

今は姿を消してしまったが、島のサメ漁は古い。奈良時代、サメの干物が贄として、天皇に供されていたり、村の古墳から、サメ漁に使った釣針とおもりが出土しています。

水深10~40mの瀬ぶちや砂泥地を選び、イイダコを餌にした延縄を仕掛け、かかって暴れ狂うサメを船の近くまで引き寄せて銛を打ち込む。縄と銛を併用して獲る漁法だったそうです。

古墳跡説明

久渕の海岸で採取したナウマン象、大臼歯は日間賀島の歴史を2万年もの太古にさかのぼらせます。日間賀島に人が足跡を残すのは、縄文時代。

住まいを構え、貝塚を残した新井浜の人々は、弥生人。日間賀島古墳跡からは、色々なものが、発掘されています。

いたこ てっさコンテスト

50年以上も前、有松絞の柄を作るため、しるしの着いたところの布を絞るという内職をみんながやっていたそうです。これをいたこを絞ると言います。

この画像の、木の器具を使って、女の人たちがやっていたそうです。

後ろの写真は、てっさコンテストの写真です。毎年、てっさコンテストは、おこなわれています。日間賀島は昔から、タコ漁もありましたが、フグ漁も盛んでした。

日間賀島にタコやフグを食べに、ぜひいらしてください。

これで、資料館のご案内は終わります。日間賀島で暮らした人たちの歴史を、垣間見たような気がします。

資料館の展示を見て、日間賀島の人々は、海とともに暮らし、漁をして生きてきたんだなあと実感しました。今はもうなくなった資料館ですが、この説明で、大体の概要は分かっていただけたと思います。日間賀島の歴史に興味を持っていただけたら幸いです。

また、たーこブログでお会いしましょう。

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